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大阪高等裁判所 平成6年(う)511号 判決

本籍

大阪市西区本田一丁目八番

住所

兵庫県伊丹市昆陽字赤所一丁目二番地

ルミナス伊丹一〇二号山根昭永方

会社員

倉持勝弘

昭和三二年一二月一四日生

右の者に対する法人税法違反被告事件について、平成六年四月一九日大阪地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 藤村輝子 出席

主文

原判決中、被告人に関する部分を破棄する。

被告人を懲役六月に処する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人滝口克忠作成の控訴趣意書及び弁護人尾鼻輝次作成の控訴趣意補充書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官阿津地勲作成の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。

一  控訴趣意中、法令解釈適用の誤りの主張(弁護人滝口克忠の控訴趣意第一)について

論旨は、要するに、被告人は、(1)平成二年五月二四日神戸地方裁判所で覚せい剤取締法違反の罪により懲役一年二月、三年間執行猶予に処せられ(同年六月八日確定)、(2)右執行猶予期間中に犯した同法違反の罪により平成三年一月三一日神戸地方裁判所尼崎支部で懲役一〇月に処せられ(同年二月一五日確定)、同月二六日右(1)の執行猶予が取り消され、平成三年九月三〇日に右(2)の刑の、引き続き平成四年一一月三〇日に右(1)の刑の執行を、それぞれ受け終わったものであるところ、最高裁昭和三二年二月六日判決は、確定判決前の余罪(刑法四五条後段の余罪、以下単に「余罪」という。)との関係で、刑法二五条一項の「刑に処せられたる」とは実刑を言い渡された場合を指し、執行猶予の付された場合を包含しないものと解すべきであるとしており、本件は、前記(1)の執行猶予の確定判決の余罪であり、前記(2)の実刑判決の余罪ではないから、右最高裁判決によれば、本件は、法律上も執行猶予を付しうる場合に当たるものというべきであるのに、その旨の弁護人の主張を排斥し、刑法二五条一項一号の「前に禁固以上の刑に処せられたることなき者」の「前に」とは、執行猶予を言い渡す判決の前にという意味であると解され、本件では前記の実刑判決があり、且つ前記各確定判決の刑の執行終了時から五年を経過していないから、本件は法律上執行猶予を付すことが出来ない場合に当たるとして、被告人に実刑判決を言い渡した原判決は、法律の解釈適用を誤ったもので、破棄を免れない、というのである。

そこで、所論にかんがみ、記録を調査して検討するに、原判決の法令の解釈適用に所論主張のような誤りはなく、又、原判決が、(争点に対する判断)の項で、被告人に関する確定判決の存在などを認定し、これらに基づき説示する法律判断も、正当なものとして支持することができる。以下、若干補足して説明する。

所論は、最高裁昭和三二年二月六日判決は、「裁判の確定した罪につき執行猶予の言渡が刑法二五条一項によりなされたものであれば、その余罪についてもひとしく同条項により、その執行猶予の条件が勘案さるべきであり、そして、この場合には、同条項の「刑ニ処セラレタル」とは、実刑を言い渡された場合を指し、執行猶予の付せられた場合を包含しないものと解すべき」ものとしており、右最高裁判決や、執行猶予の適用要件を漸次緩和してきたわが国刑法の推移、右判決に至るまでの最高裁判決の動向などにかんがみると、本件が、その執行猶予が後日取り消されたとはいえ、前記(1)の執行猶予付き判決の確定前の余罪である以上、刑法二五条一項一号により執行猶予を付し得るものである、と主張する。

しかし、被告人は、前記(1)の執行猶予付き判決の確定後に犯した覚せい剤取締法違反の罪により、平成三年一月三一日神戸地方裁判所尼崎支部で懲役一〇月に処せられた(同年二月一五日確定)前記(2)の前科があるのであって、この点において、本件は所論の最高裁昭和三二年二月六日判決(刑集一一卷二号五〇三頁)とは明確に事案を異にするのであり、本件のような場合についてまで、執行猶予を付し得るとする法文上の根拠は勿論、合理的理由も見出し難い。

そして、刑法二五条一項一号の「前ニ禁固以上ノ刑ニ処セラレタルコトナキ者」とは、「当該執行猶予の判決言渡し前に、禁固以上の実刑の確定判決を受けたことがない者」と解される(最高裁昭和三一年四月一三日判決刑集一〇卷四号五六七頁、前記最高裁昭和三二年二月六日判決参照)から、前記(2)の実刑判決があることにより、被告人は、右条項の「前に禁固以上の刑に処せられたることなき者」の要件に抵触することは明らかである。

加えて、被告人の場合、前記(1)の執行猶予付き確定判決は、後日所論指摘の日に取消されており、その結果、実刑判決の言渡があった場合と同様の効力を生じ、前記最高裁昭和三二年二月六日判決にいう「実刑判決を言い渡された場合」に該当することになり、この場合も、刑法二五条一項一号の「前に禁固以上の刑に処せられたることなき者」の要件に抵触することになるものと解される。

そして、被告人は、前記二件の確定判決の各刑の執行終了時から五年間を経過していないので、被告人に対して、刑法二五条一項一号及び同二号をいずれも適用できず、執行猶予を付することは、法律上許されないところである。

本件脱税事犯に対し、法律上執行猶予を付し得ないとした原判決の判断に、法令の解釈適用の誤りはない。論旨は理由がない。

二  控訴趣意中、量刑不当の主張(弁護人滝口克忠の控訴趣意第二、弁護人尾鼻輝次の控訴趣意)について

要旨は、要するに、被告人を懲役九月に処した原判決の量刑は、とくに罰金刑を選択処断しなかった点で重きに失する、というのである。

所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果を参酌して検討するに、本件は、劇場興行等を営む有限会社の事務全般を統括し、その実質的経営者であった被告人が、同会社の代表取締役らと共謀の上、同会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、興行収入を除外するなどの方法により、連続して二事業年度にわたり、その所得の全部を秘匿した上、正規の法人税合計一億四五一四万円余を脱税した事犯であるが、ほ脱額は多額であり、ほ脱率も二期連続して一〇〇パーセントと高率であること、本件の方法による法人税の脱税は、被告人の発案・指示に基づくもので、被告人は責任者の交替の際には、従前の売上除外の方法などにつき、後任者を指導して引き継ぐようにさせ、歴代の営業責任者に虚偽の日計表を作成させるなどしており、しかも、被告人自身は役員に就任することなく、いわば舞台裏から実質的経営者ないしオーナーとしての影響力を行使する形で、本件脱税事犯の一切を画策実行していたもので、又、動機にも格別斟酌すべき事情は認められず、犯情悪質であること、近時この種大口脱税事犯に対する納税者一般の処罰感情には厳しいものがあることなどに徴すると、被告人の刑責は軽視できず、本件は、罰金刑をもって処断すべき事案であると認め難い。

他方、被告人は、本件摘発の当初から素直に犯行を認めて捜査に協力し、本件について反省の態度を示していること、本件脱税が発覚したのに伴い修正本税、重加算税、延滞税、修正地方税などの全額合計約四億一七〇〇万円余を納付していること、被告人の家庭事情など、被告人のため有利に斟酌すべき情状も認められる。以上を総合考慮するとき、被告人を懲役九月に処した原判決の量刑は、原判決時を基準とする限り、破棄してこれを是正しなければならないほど重きに失し不当であるとは認められない。

しかしながら、当審における事実取調べの結果によれば、原判決後、被告人は、一段と原判決を厳粛に受け止めて反省の念を深めると共に、手元不如意の中から、平成七年一月一七日発生の阪神淡路大地震の被災者に対する義援金として金一〇〇〇万円を、贖罪の意味を込めて神戸市に寄付し、更に反省の情を明らかにしていることが認められ、これに前記の原審当時から存した被告人のため酌むべき諸情状を併せて考えると、現段階においては、原判決の量刑をそのまま維持することは、酷に失すると認められるので、その刑期を若干減じるのが相当である。

よって、刑訴法三九七条二項により原判決中被告人に関する部分を破棄し、同法四〇〇条但書により更に判決することとし、原判決が認定した事実に、その挙示する被告人関係の法条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田村承三 裁判官 久米喜三郎 裁判官 出田孝一)

控訴趣意書

法人税法違反 倉持勝弘

右の者に対する頭書被告事件につき平成六年四月一九日大阪地方裁判所第一二刑事部が言い渡した判決に対し、弁護人から申し立てた控訴の理由は左記のとおりです。

平成六年八月一八日

右被告人弁護人

弁護士 滝口克忠

大阪高等裁判所第二刑事部 御中

原判決は本件控訴事実を認定した上、被告人の前科について、被告人は(1)平成二年五月二四日神戸地方裁判所で覚せい剤取締法違反の罪により懲役一年二月、執行猶予三年に処せられ、右裁判は同年六月八日確定したが、(2)その執行猶予期間中に犯した同法違反の罪により平成三年一月三一日神戸地方裁判所尼崎支部で懲役一〇月に処せられ、右裁判は同年二月一五日確定し、同月二六日右(1)の執行猶予が取り消され、平成三年九月三〇日に右(2)の刑の、引続き平成四年一一月三〇日に右(1)の刑の執行をそれぞれ受け終わったことが認められるとし、検察官の懲役一年六月の求刑に対し、被告人を懲役九月に処す旨の言渡しをしました。

当職も原判決の控訴事実及び被告人の前科についての認定自体はこれを是認するものです。

しかしながら、右判決には以下詳述するとおり量刑に際し、刑法二五条一項の解釈適用をあやまった違法があり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであり、仮にこれが認められないとしても右量刑は重きに失し不当であり、いずれにせよ到底破棄を免れないものです。

第一 法令解釈適用の誤りについて

一 原判決は弁護人の「(1)確定判決前の余罪について、最高裁昭和三二年二月六日大法廷判決(刑集一一巻二号五〇三頁)が、刑法二五条一項の『刑に処せられたる』とは、実刑を言い渡された場合を指し、執行猶予の付された場合を包含しないものと解すべきとしているところ、被告人の前記一の(1)の確定判決はあくまで執行猶予であり、実刑判決ではないこと、(2)右最高裁判決やそれ以前の確定判決前の余罪についての執行猶予に関する最高裁判決はいわば救済判決であり、その趣旨を本件において生かすべきであること、(3)被告人には前記一の(1)の確定判決後、実刑判決があるが、本件はあくまで確定した執行猶予付き判決の余罪であり、右実刑判決の余罪ではないこと等を理由に本件については前記昭和三二年の最高裁判決の趣旨からして法律上も執行猶予を付し得る。」旨の主張に対し、

二 確かに、確定判決前の余罪については、最判昭和二八年六月一〇日(刑集七巻六号一四〇四頁)が、併合罪関係に立つ数罪が前後して起訴され、後に犯した罪につき刑の執行猶予が言い渡された場合には、前に犯した罪が同時に審判されていたら一括して執行猶予が言い渡されていたであろうときは、前に犯した罪につき執行猶予を言い渡すことができるとし、最判昭和二九年一一月五日(刑集八巻一一号一七二八頁)は同旨の判決をなし、最判昭和三一年五月三〇日(刑集一〇巻五号七六〇頁)は、余罪について刑の執行猶予をすることができるかどうかは刑法二五条一項の定める条件によることとし、また、前記最判昭和三二年二月六日の判決は、刑法二五条一項によって刑の執行を猶予された罪のいわゆる余罪について、さらに、同条項によって執行猶予を言い渡すためには、両罪が法律上併合罪の関係にあれば足り、訴訟手続または犯行時等の関係から、実際上同時に審判することが著しく困難若しくは不可能であるかどうか、または同時に審判されたならば執行猶予を言い渡すことのできる情状があるかどうかは問題とならないことを明らかにした。そして、前記一のとおり本件各法人税法違反は、前記一の(1)の確定判決前の余罪となり、右確定判決は執行猶予付の判決であるから、弁護人主張のように刑法二五条一項を適用して本件につき執行猶予の判決を言い渡すことが出来ると解せる余地もある。

三 しかしながら、本件事案は前記一のとおり、前記一の(1)の確定判決後、前記一の(2)の実刑の確定判決があり、さらに、右一の(1)の執行猶予の確定判決の執行猶予が取り消され、右(2)及び(1)の確定判決につき刑の執行を受けたという経緯があり、前記最高裁判所の各判決における具体的事案とは異なるものである。

特に、本件においては、前記一の(1)の確定判決後、前記一の(2)の実刑の確定判決があることが問題となる。すなわち、刑法二五条一項の適用を考える場合に、単に確定判決があり、その余罪について判断するだけにとどまらず、右確定判決後に別の実刑の確定判決がある点がこれまでの事案と異なるところである。

ところで、刑法二五条一項一号の「前ニ禁錮以上ノ刑ニ処セラレタルコトナキ者」の「前ニ」とは、執行猶予の判決言渡前という意味であり、最判昭和三一年四月一三日(刑集一〇巻四号五六七頁)は、「現に審判すべき犯罪につき刑の言渡をするその以前に他の罪につき確定判決により禁錮以上の刑に処せられたことのない者を指すのであって既に刑に処せられた罪が現に審判すべき犯罪の前に犯されたと後に犯されたとを問わないことは同号と同条第二号並びに同法第二六条各号就中その第二号とを対照比較することによって明白である」と判示した原審を維持したものである。

弁護人は、前記のとおり最高裁昭和三二年二月六日判決が、刑法二五条一項の「刑に処せられた者」とは、実刑を言い渡された場合を指し、執行猶予の付せられた場合を包含しないとしていることから、被告人の前記一の(1)の確定判決は執行猶予であり、実刑判決ではないことを一つの根拠とするが、右判決は「後者(裁判の確定した罪)につき執行猶予の言渡が刑法二五条一項によりなされたものであれば、前者(前記の余罪)についても等しく同条項により、その執行猶予の条件が勘案されるべきであり、」と述べた直後に「そして、この場合には同条項のに『刑に処せられた者』とは、実刑を言い渡された場合を指し、執行猶予の付せられた場合を包含しないものと解すべきことは、所論刑法改正の前後によって差異を生ずるものではない。」としている。右の説明は確定判決があり、その余罪があった場合に右余罪につき刑法二五条一項の要件により執行猶予を付することが出来る根拠として同項の「刑に処せられた者」は実刑を言い渡された場合で執行猶予の付せられた場合を包含しないと解するとしたものであり、本件のように右確定判決後に別の実刑の確定判決がある場合をも考慮しているかについては疑問があり、右の解釈は、余罪についても等しく同条一項により、その執行猶予の条件が勘案されるべきとしたうえで、「刑に処せられた者」とは、実刑を言い渡された場合を指し、執行猶予の付せられた場合を包含しないというのは、同条項の適用要件を前提としており、本件では前記一の(2)の実刑の確定判決が右の実刑判決を言い渡された場合にあたると解せる。

従って、本件では前記一の(2)の実刑の確定判決を受け、さらに、右一の(1)の執行猶予の確定判決の執行猶予が取り消され、右(2)及び(1)の確定判決につき刑の執行を受け、その各執行終了時から五年間を経過していないから、刑法二五条一項一号及び同項二号の要件に合致しない。

また、本件各法人税法違反は、前記一のとおり、前刑の執行猶予中の犯行ではないから同法二項の適用も考えられない。

従って、本件では法律上執行猶予を付することが出来ない場合にあたり、弁護人の前記主張は採用できないとしました。

四 しかしながら、原判決の右判断は我国の刑法で執行猶予の要件を一貫して緩和してきた経緯や前記最高裁判決が何故刑法二五条一項の条文上の文言に反してまで執行猶予を言い渡された確定判決のその前の余罪について、執行猶予を付すことができると解釈してきたか、その理由を考えずなされたもので到底これを是認することができないものです。

即ち、我国で最初に執行猶予制度が採用されたのは明治三八年で、当初一年以下の禁固刑にのみ執行猶予が許され、また前科のある者が執行猶予を許されるためには受刑後一〇年を経過することを要するとされていたのがその後、執行猶予を言い渡すことのできる場合を二年以下の懲役、禁固に拡大され、前科による欠格の期間も七年に短縮されたりし、戦後においては三年以下の懲役、禁固まで執行猶予を言い渡すことが出来るようになり、ついでは再度の執行猶予を認められるようになったのです。

そして、刑法二五条一項によれば、前に「禁固以上の刑に処せられたることなき者」に執行猶予が適用されるところ、禁固以上の刑に処せられとは禁固以上の刑に処する確定判決を受けたことを言い、刑の執行を現に受けたことは必要ではないから執行猶予を言い渡された者であっても禁固以上の刑に処せられたる者に該当すると解釈されていたのです。

しかし、この解釈によれば、ある罪につき執行猶予を言い渡す有罪判決が確定した後、その確定前に犯した罪について刑を言い渡すべき場合には執行猶予を言い渡すことができないこととなり、前の執行猶予も取り消さなければならないことになってしまいます。

そこで、このような不合理な結果を救済するため、執行猶予制度の趣旨から目的論的に解釈し、これまでの最高裁判決は二五条一項の規定からすれば文理上無理であるにもかかわらず、執行猶予を言い渡された罪の余罪について刑を言い渡す場合には更に執行猶予を言い渡し得るという解釈をし、これは判例として確立したわけです。

そして、前記昭和三二年の最高裁判決は右の場合、法律上併合罪の関係にあることをもって足りるとされたのです。

原判決は本件判決言い渡し前に前記(2)の実刑判決があるので本件において、右最高裁判決は適用されないとされます。

確かに、形式論理上はあるいはそうかもしれませんが、右最高裁判決自体、前記のとおり刑法二五条一項の明文に反した解釈をしていますので前にの意味を本件のような事例に限っては本件前と限定して解釈すればよいと思料されます。

やはり、執行猶予制度の趣旨から目的論的に解釈されるべきであります。

以上の次第で本件においても、右最高裁判決の解釈は適用されるべきで被告人に対しても刑法二五条一項を適用するのが正しい法令の適用と言うべきです。

従って、原判決が本件では法律上執行猶予を付することができない場合であると判断したのは刑法二五条一項の解釈適用を誤ったことに該当し、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかで到底破棄を免れず、被告人に対しては刑法二五条一項を適用し、執行猶予を付した判決がなされるべきです。

第二 量刑不当について

仮に裁判所において本件については刑法二五条一項の適用ができないとされても、本件は罰金刑に処すべきであります。

一 原判決は弁護人の平成五年一一月三〇日付弁論要旨及び平成六年二月二二日付補充弁論要旨第二の主張に対し、量刑の事情として、「被告人の本件犯行は、逋脱額が二期合計で一億四五一四万六一〇〇円と高額で、その逋脱率も二期連続して一〇〇パーセントと極めて高率であり、悪質な犯行と言わざるを得ない。被告人は本件犯行の動機として、踊り子の出演料を一部を簿外で支払う必要に迫られその簿外資金を作るため、或いは被告会社の事業拡大やストリップ劇場の改装に要する資金確保のためと言うが、これらは本来税引後の内部留保資金によってなされるものであり、動機において特に酌量すべきとも思われない。そして、被告人は、逋脱によって得た資金で割引債権や株式を購入しており、本件は不正蓄財の目的で敢行したと言える。前記脱税額等を考慮すれば本件は弁護人の主張するような罰金相当事案とは言えない。

そこで、被告人本件各犯行を認め、自ら積極的に捜査に協力する等反省の態度を示していること、被告会社が本税、重加算税等を完納していること、被告人には本件各犯行以前に古い執行猶予付の懲役前科一犯と罰金前科二犯があるだけで同種前科がないこと、本件各犯行が被告人には前記確定判決前の余罪であること、右確定判決の執行猶予が取り消され右判決につき刑の執行を受けたこと、被告人はC型肝炎にら罹患し経過観察中であること、被告人の父親が当公判廷において被告人の今後の監督を誓っていること、被告人は現在養母と子供の三人暮らしであること等被告人に有利な事情があるところ、前記争点に対する判断で述べたような事情から執行猶予は付けられないが、右の事情を考慮して主文の刑が相当であると思慮する。」と判断されました。

二 しかし、最近の脱税事件の主流は逋脱額三億円前後であり、また逋脱率も一〇〇パーセントや一〇〇パーセント近い九〇パーセント台の事件が多く、本件はその点で悪質というわけではありません。

また、原判決は被告人が本件動機が被告会社の事業拡大やストリップ劇場の改装に要する資金確保のためという点について、動機において特に斟酌すべきとも思われないとされています。

しかし、前記補充弁論要旨で引用した勅使河原一の所得税法違反事件での検察官の控訴趣意書では、むしろ右のような事情については考慮すべき余地があることを言外に述べております。

即ち、「通常、事業経営者が脱税事犯を犯すのは景気の変動に伴って惹起する虞れのある事業の倒産の防止或いは裏資金を利用することによって事業規模を急激に拡大しようとする事業意欲等専らその事業のために敢行されるのが一般であり、従って、簿外資金とし留保された裏資金もその殆どが簿外借入金の担保とされたり或いは運転資金に投入されたりして事業のために利用されているものであるが、本件はその一部が定期預金等して蓄積されているものの、それに匹敵する多額な金額が被告人及び家族の個人的な費消にあてられているものであって、この事は被告人が新草月会館建設のためと言いながら同時に個人的な欲望を満足させるための財貨の蓄積ないし費消をも意図していたことを物語るものであって、本件犯行の動機及び実体は他の同種事犯に比しむしろ悪質であり宥恕すべき理由は全くないと言わなければならない。」とされています。

つまり、事業目的のための脱税は個人的費消目的の脱税よりましだとされているのです。

にもかかわらず、右勅使河原は実質的には高名なだけの理由で懲役刑は科せられず、罰金刑にとどまっているのです。

被告人の場合、法解釈上の問題によって本来なら執行猶予を付してもよいのに実刑判決しかなされないというのは余りにも不合理且つ不公平であります。

原判決も認定されているように、被告人は被告会社から身を引き、その経営から離れている上、現在は養母と長女の三人暮らしをしています。

特に長女は年頃となり、被告人は長女の母とは離婚していますのでその養育にあたり、よくあるように長女が非行に走るのを防止すべき立場にあり、被告人にとっては右長女のことが何より気掛かりなことであります。

このような事情がありますので今更被告人を実刑に処すべき理由もなく、懲役刑に処するのは余りにも過酷であります。

従って、原判決の量刑は著しく重きに失し不当でありますので被告人に対してはやはり原判決は破棄を免れず、控訴審において罰金刑を科すべきであります。

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